義父を見送りました

昭和の男の大往生

こうありたいものだと思える葬儀

きのう、義父の葬儀を終えました。

家族内のこぢんまりとした葬儀でしたが、ひとりの昭和の男が去るにはむしろふさわしい場であったのではないかと思います。

高度成長期に大手建設会社に在籍していましたから、プロジェクトX的な苦労も多々あったのではないかと想像します。私は引退後の姿しか見ていないので詳しくは知りませんが。

7人の孫と1人のひ孫に恵まれ、趣味の囲碁ではアマチュア5段の腕前。子どもたちにも指導し、弟子もいました。

元気な頃は夫婦でよく旅行に行き、娘夫婦と孫の総勢十数名でハワイに行ったことも。

最晩年は認知症の妻を自分で介護し、亡くなる1ヶ月前まで子供や孫たちと焼肉や寿司を堪能し、最後は大きく苦しむことも、長期の介護を受けることもなく亡くなりました。

こんな去り方は誰にでもできることではないと思います。これもすべて、義父のポジティブな生き様が呼び寄せたことだと思います。

明るくて声がデカく、ちょっとウザいくらいの昭和の男。

性格的に正反対の私は、そんな彼をちょっと疎ましく感じることも、正直ありました。

でも、そんな彼が、考え得る限り最高の勝ち逃げで極楽に行きました。

私には彼のような生き方、死に方は無理ですが、今後の人生をもしかしたらちょっとだけマシにできるかも、というヒントをもらった気がします。10年後か20年後かわかりませんが、あの世で酒を酌み交わすときに、少しは褒めてもらえるように頑張ろうと思いました。

去る者あらば来る者あり

そうそう、今回の葬儀では、認知症の義母がひとつの心配の種でした。

夫の死を理解できるのか。

理解したとして、それを受け入れられるのか。パニックにならないだろうか。

その心配を1人の赤ん坊が救いました。ひ孫のユウト君です。

福々しくて可愛らしいユウト君。義母は夫の祭壇の前でその死を理解し、さめざめと泣いていましたが、ユウトくんを見ると「かわいいねえ!」を連発。大いに気が紛れたようでした。

人の死の悲しみを新しい小さな命が癒す。

太古から連綿と続く再生の物語。

ユウト君はこの場がどういう場なのかまだわからないですし、大きくなってもここで起こったことを記憶していないかもしれません。

でも、その場にいた人たちはみんなしっかり見ていました。ある昭和の男の遺伝子が赤子に受け継がれ、まるで自身が憑依したかのように残された妻を癒したのを。

こういうことがあるから、人は身近な人の死を乗り越えられるのだと思います。子を生み育て、家族という木の枝葉を大きく広げていく。そういういわばごく平凡な生き方が、老境で弱った自分を救済してくれ、安らかにその時を待てるようにしてくれる。

こどもを育てることは、たいへんな労力とコストがかかります。それから逃げている人もいるし、不本意ながら病気などの理由で子どもを持てない人もいる。だから一概には言えませんが、こどもがいない人が「子育てした程度、偉くもなんともない」とか「人生にはもっと大事なことがある」みたいなことを言っているのを見ると、正直お気の毒としか言えません。そういう人に限って家族や親戚と縁を切っていたりするので、気づかないのかもしれませんが。

人生の最後に、孤独という無限に深い奈落が待っているという恐怖は、本来なら筆舌に尽くしがたいもののはずです。まだ体も頭もしっかりしているうちは、それを実感できず慢心していますが、こどもを持たずに老境に達してしまったら悔やんでも手遅れです。

そうならないように、人間には若いうちから半強制的に葬儀という場に出る習慣があるのだと思います。もちろん死者を悼むためもありますが、もうひとつ大きな理由は「終わったことを悲しんでくれる人がいる人生」というものが、どんなアートよりも美しい、故人が一生をかけて紡ぎあげたひとつの作品に他ならないからではないでしょうか。

若いうちにそれを感じ取ることは、その後の人生の大きな指標になると思います。すくなくとも、参列した故人の子供や孫の様子を見て「こどもなど無用」という感想は浮かばないでしょう。

その経験が、巡り巡って人生を孤独な死で終えるという悲劇から自らを救うことになる。だからこそ、結婚前の若いうちから葬儀に参列することには意味がある。memento moriってことですね。

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