
フィルム写真の本質はどこにある?
どうも、平玄です。
今回はデジタル写真を、画像処理で一見フィルム風に仕上げることについての私見を書いてみます。


フィルム写真をフィルム写真たらしめているものとは
フィルム写真は、ランニングコストが高いと言われながらも、いまだに一定数の愛好者がいます。
そのうち、後処理やAIで、フィルム「風」どころかプリントしてもまったくフィルムと区別がつかないデジタル写真を生成することができるようになるかもしれません。じゃあ、できあがりの見た目がフィルムならフィルム写真なのかというと、フィルムというメディアを使っていない以上フィルム写真じゃありませんよね。AIが生成したイラストがどれだけうまく描けていたとしても、人間が描いたものではないという事実は動かないのと同じです。
では、フィルム写真をフィルム写真たらしめているものとはなんでしょう。グレイン? レトロな発色?
私は、実はそういう出来上がりの見た目以外の点ではないのではないかと思っています。少なくとも私はそこに惹かれてフィルム写真を撮っているのではありません。


写真のスタイルとは、仕上がりの見た目ではなく撮り方なのでは
フィルム写真は、あくまでフィルムの流儀で撮るものです。一日に何百枚も撮って、後で選別するというやり方はコスト的に不可能です。通常は一枚一枚被写体と向き合って、じっくり撮ります。動くものはもちろん、静止した被写体でも、こちらの体が微妙に動きますから、厳密には同じ瞬間は二度とこない。集中して息を止めて、ここぞというときにスパッとレリーズする。そういう撮り方が主になると思います。ま、スポーツとかネイチャーとか、モードラをつけて撮るようなジャンルは別ですが。
すると、これは私の主観なんですが、被写体との関係性が濃厚になる気がするんです。ピントにしても、どこに合わせるかで写真の主題が変わってくるので、あれこれ逡巡する。構図もそうです。なにしろ撮れる枚数が限られていますから、そうそうテンポよくは撮れない。露出を測ったり、絞りとシャッタースピードを選んだりの時間もある。そうこうしているうちに太陽に雲がかかって、また顔を出すまで待ったり。フィルム交換の時間もありますね。
フィルム撮影とデジタル撮影の根本的な違い
ここで冒頭の話に戻ります。レリーズごとに従量制でコストが増えるフィルム写真の撮り方と、何枚撮ってもコストが変わらないデジタル写真では、おのずから撮り方が違ってきます。被写体により長い時間向き合い、ああでもないこうでもないと考え、何なら被写体にどう撮ってほしいか心のなかで問いかけてみる。その上で一発で決めるつもりでレリーズするのがフィルム。失敗しないことを優先して連写・多カット撮影で万全を期すのがデジタル。これはもう良し悪しではなく、方法論というか、流儀が違う。

私は自らを分析するに、フィルム写真の仕上がりが欲しいというより、撮影時の被写体との密な時間が好きだからフィルムにハマっているんだと思います。フィルムって高いのになぜ使うんだ? という問いへの私の答えがこれです。ゆっくりじっくり撮るからこその現場体験。写真はその時の記念・記録として撮っているようなものです。
私、人いなかったら狛犬さんに話しかけてますもん。こんな笑顔で迎えられたらそりゃ世間話の一つもするでしょ。

フィルムが高いからこそ、被写体との向き合い方がより丁寧に、濃密になる。時を経た被写体との語らいが楽しくなる。
撮影時の状況をよく覚えているのがその証左。それはとてもいいことだと思うし、現場での体験がとても楽しく感じるからこそ、私はフィルムを使うんです。


撮影という名目で、実は被写体と語り合うために現場に行くのかも
結局私は、過去の人々が遺した祈りの残照みたいなものを探して、ジーンと来たりほっこりしたりするのが好きなんですよ。それを見つけるためには撮影現場でウロウロノロノロ試行錯誤してじっくり撮ることが必要なんだと思います。
そこにフィルムの撮影枚数縛りが生きてきます。このカットは必要か否か。対象の見方は適切か。対象の良さは出ているか。
フィルム写真はそれを考えざるを得ない状況に撮影者を置いてくれ、結果的に対象をじっくり見ることに繋がっている気がします。
その場の雰囲気、大気の匂い、音。後処理で大きくいじらずそれらに包まれたその時の気持ちのなかで撮影を完結させたい。そのために露出をいちいち測るとか、巻き上げやフィルム交換とか、フルマニュアルの各種操作とかの「間」が入る、むしろテンポよく流れるようには撮れないのがいい。被写体だけではなく周辺にも目が行きますし。
本当に大事なのは現場で何を体感するかであって、できあがりの写真はそのお土産にすぎないんじゃないかと思いますね。
撮った直後に結果がわからないのもそうです。しかも、念の為抑えのカットを撮ろうにも、それもうまく撮れている保証はない。コストもとんでもないことになる。現実的じゃありません。
被写体と語らいながら、その時間を楽しみ、スローにじっくり狙う、そして一発で決めるつもりで撮る。それで失敗したら諦める。
なんのことはない、フィルムカメラとは元々そういう道具です。人間の能力を過度にフォローしてくれない。でも、彼らが現役の頃は、人間もまたそれでよしとして写真を撮っていた。そして、失敗写真すら思い出になっていた。
私にとっては、見栄えのよい結果を確実に得るのが目的じゃないんです。自分が道具を使いこなして、その場でできる最良のことをして、ゆっくりとその場での時間を楽しみ、結果はわからないままその場をあとにする。失敗したってまたサクラが咲く頃にでも再訪すればいい、って思えばいいじゃないですか。

そういう気持ちで写真を撮れる。それが私にフィルム写真が必要な最大の理由です。