お墓についてふと考えたこと

友人のアイナメンとの会話で

物理のお墓って、故人を偲ぶための最適解なのだろうか

きょう、友人の根魚戦士アイナメンと話をしていて、彼はともかく私はもうそろそろエンディングノート的なことを考えなければいけない歳なので、こんな話になりました。

私の3人の子供たちはすべて東京在住で、将来も地元に帰ってくる予定は特にありません。そんな中、私が死んで、お寺の墓所にある私の家の墓に入ったとして、盆彼岸にいちいち帰ってくるなんて無駄なこと。かみさんが亡くなれば、おそらく家は処分しますから、泊まれる実家もなくなる。

当然かみさんも、私の両親や祖父母と一緒の墓に入る理由なんかありません。

だいたい、たかが御影石のちんまりしたモニュメントを拝んだとて、生きている人になんの利益があるというのでしょう。

ピラミッドとか前方後円墳とかですら、まあこれだけでかいんだから権力者だったんだろーなくらいしかわからんじゃないですか。でも、作品や手記を書き残している人はわかる。どんな立派な墓を残しても、生前の情報がなければ生きていた時にどういう人だったかは何ひとつ伝わらない。生前の私を知らない少し先の子孫には、四角い石を残したところで、人となりとかどう生きたかとか、何も伝わらない。

実際、うちの家の墓石に刻まれている過去の故人の名前からは、生きていた時に面識のある人以外はなにもわからんです。実在した人間として認識することすらできません。

幸い今はデジタル時代

おそらく、ですが、インターネットは人類終焉の日まで存在し続けると思います。GAFAレベルの巨大テック企業がサービス終了するとしたら、人類滅亡レベルの何かが起こった時ぐらいでしょう。

明治の小学校

だったら、人の墓もWeb上に作ればいいのでは?

そこに、作った作品や思ったこと、愛する人々への言葉など、未来に、子孫に残したいことを全部詰め込んで。

お盆やお彼岸は美しい風習だと思います。でも、現代ならもっと故人をしっかり知ることができる。

個人が、デジタルデータで残せるものを持っているなら、それを集めた故人ポータルサイトを作るのはどうかなって話です。そしてそれをお墓と言ってもいいんじゃないかな。

まあ、そういうこと言うと「AI故人とチャット」とか言い出す人がいそうですが、私の考えているのはそういうものではありません。あくまで、故人が自らの手で遺したものです。

少なくとも私は、ただの石のモニュメントより、自分の描いた作品や書いた言葉を見てほしいですね。お墓という石のモニュメントは永遠に残るかも知れない、でもそれからわかるのは名前と没年だけ。見てほしいこと、知ってほしいものはそれじゃない。

せっかくこの世に生を受けて80年かそこら色々やるんだもの、自分が生きた証みたいなものを残したいし、誰かに伝えたいじゃないですか。20世紀中盤生まれの平玄という曾祖父さんがいたことだけがひ孫に伝わって、どういう人だったか何もわからないんじゃつまらないですもんね。

でっかい魚をかみさんに

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