被写体とどんな時間を共有するか

フィルム写真の効能

私はデジタルもフィルムも撮りますが、じっくり被写体と向き合いたい時はフィルム。フィルムで撮ると被写体との時間がいやがおうにも濃密になると思っています。
一枚あたりの撮影コストが高いフィルム写真は、どうしたって一枚一枚を大事に撮る必要がありますから、その分じっくり被写体に向き合うことになる。
神社にお参りした際、狛犬や神使像、建築物などの物質的なものについ目が行きがちですが、そういう外観だけじゃなくて、過去から現在までの人達の祈りに思いを馳せてみたりするのもいいものだと思うのです。

たしかに写真を撮るのが目的で行っているのですが、撮ることに躍起になりすぎてずっと液晶やEVFごしの映像を見ているより、カメラを下ろして自分の目で周辺を見回し、鳥の声を聞き、風の匂いを嗅ぐなど、そこにいるという体験をじっくり味わうのが私は好きです。神社は人の願いや祈りがたくさん寄せられた場所。それを感じることを忘れないようにしています。

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すごい迫力

福島県飯館村のオオカミ信仰の神社、山津見神社。
拝殿の火災のせいか、顔の半分が黒く焼け焦げていて凄みが増した真神さん。
東日本大震災によって起きた原発事故で、村の人たちが避難していたとき、山津見神社の拝殿は火災によって焼け落ちてしまいました。原発事故さえなければ人もいて火事の発見も早く、全焼にまでは至らなかったかもしれません。しかし、その後クラウドファンディングにより、鉄筋コンクリートの近代的な拝殿として復活。有名なオオカミの天井絵も焼失してしまいましたが、東京芸大の学生さんたちが見事に復元してくれて今に至ります。

本当に大事なものは、建物や石像そのものより繋がっていく人々の想い

もちろん、火災前の拝殿は歴史的にも重要なものだったでしょう。しかし私は、地元飯館村の皆さんや、クラファンに協力した皆さん、芸大の学生さんたちなどの想いがこもった今の山津見神社もとてもいいものだと思えました。
歴史ある建物や石像といった形あるものはもちろん素晴らしいですが、たとえそれが一旦途切れてしまっても、人々によって再建されてつながれていく神社の歴史こそが、本当に価値あるものなのだと思わされました。
この神社の復活に力を注いだ皆さんこそが、不撓不屈のオオカミそのものです。

私が伺って数日後、山津見神社では11年ぶりとなる例大祭が盛大に執り行われました。本当によかった。
3日間にわたるという大規模な例大祭。いずれお祭を撮りに再訪するのが楽しみです。

あんまりファインダーを覗いてない変なカメラマン

写真を撮る上でいいのか悪いのかわかりませんが、私は一般的なカメラマンより実際の撮影行為をしている時間がだいぶ短いんじゃないかと思います。
要はファインダーを見て構図を決めてレリーズする、という行為をやっている時間がだいぶ短い。それよりも、カメラを構えずに周辺を散策したり、地元の方とおしゃべりしたり、座るところがあればボーッと座っていたり、季節の花を愛でていたり、石碑の碑文を読んでいたりということが多いです。
そりゃフィルムカメラじゃやたら枚数撮れないからだろ、っておっしゃるかも知れません。
はい、まさにそれ。それが狙いでわざとフィルムカメラを使ってるんです。縛りプレイです。

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福島県原町・三島神社の狛犬さん
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同じく、三島神社の吽さん
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宮城県岩沼市・竹駒神社のおキツネさん
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竹駒神社の花手水

フィルムで撮ると被写体との時間が濃密になる

それが、冒頭で書いた「フィルムで撮ると被写体との時間がいやがおうにも濃密になる」ということなんです。
敢えてスローにしか撮れないカメラで撮る。露出を測り、絞り値やシャッタースピードダイヤルを合わせる間。太陽が雲に隠れて再び顔を出すまで待つ間。フィルム交換の間。こういう時はカメラが介在しないで自分の五感が働いている。なんなら誰かと話をしていてもいい。カメラ抜きの時間がデジタルより長い、
これが私がフィルムカメラで撮る理由です。写真は、現場で自分の五感が感じたことの記録にすぎない。その時感じたことが大事で、それを思い出すよすがになればいいと思っています。

オールドレンズの力が抜けた描写もいい

私も還暦を過ぎて、目の方もいい加減ポンコツです。オールド水晶体にはオールドレンズがしっくりきます。何もわざと逆光に向けてゴースト出そうってんじゃありません。ちゃんと古いレンズには敬意を払いますよ私は。
自分に見えている世界と似た描写をするレンズを選んでいるだけです。
標準レンズで例を挙げれば、シュナイダー・レチナクセノン、ライツ・ズマー、ズミクロン、リコー・XRリケノン、ペンタックス・タクマー、ミノルタ・オートロッコール、フォクトレンダー・カラースコパー、ゼプトンあたりでしょうか。
古いレンズにはなんだか親しみを感じますね。同年代だったり年上だったり。これもまた、コンピュータもない時代に手計算でレンズを設計していた先人に対する尊敬の念からです。

現象や物体ではなく人の想いや願いを撮りたい

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タヌキ氏
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キツネ氏
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シャッターのペイントが昔のまま

もちろん簡単なことではないし、今の自分にそれができているとは思いません。
でも、何が撮りたいかというならそれなんです。
長い年月で、人が生きて死んでいくというサイクルの中で残ったものを、今の我々は見ています。
それをありのままに写したい、それだけです。そのために今の私に思いつく最良のツールはフィルムカメラなんです。

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